2026/09/04 14:21
今月追いかけてる仮説はひとつ。
インターネットの隅っこで名前を明かさない連中が作ってるBarber Beatsってジャンルと、
半世紀前にジャズの巨人どもが即興でやってたこと、それが不思議と同じような響きを持っている。
Barber Beatsとは何か
Barber Beatsは、2010年代半ば以降にヴェイパーウェイヴから派生したマイクロジャンルだ。
その名の由来は、匿名のプロデューサー「haircuts for men」が2014年頃から発表していた作風に対し、彼を擁するレーベルAloe City Wrldが半ば冗談で与えた呼称にある。
ラウンジ・ポップやムザック、80年代のスムーズジャズ的な音源をサンプリングし、既存のヴェイパーウェイヴよりもマスタリングの効いた、洗練されたダウンテンポのビートへと再構築する。
壊れたテープが溶けたような従来のワウ処理された質感ではなく、低音とメロディーに寄った、聴きやすい方向性が特徴である。
多くの作品は既存曲をほぼそのままサンプリングする「プランダーフォニックス」的手法を核とするため、著作権上の脆弱性を常に抱えている。作家性を誇示するどころか「全てはプランダーされたもの」と自ら創作性を退けるような姿勢すら、このジャンルの美学の一部として機能している点は興味深い。
フュージョンとは何か
フュージョンとは、1960年代末から70年代にかけて、ジャズがロック、ファンク、R&Bのグルーヴやエレクトリック楽器を大胆に取り入れることで生まれた音楽様式である。
マイルス・デイヴィスがエレクトリック・マイルスへと舵を切ったこと、そしてウェザー・リポートやリターン・トゥ・フォーエバーといったバンドが、即興性を保ちながらも反復的なグルーヴとダンス性を音楽に組み込んだことが、その決定的な起点として語られることが多い。
ジャズ本来の複雑な和声やインプロヴィゼーションの精神を放棄することなく、より身体的でポピュラーな聴取体験へと開いていった点が最大の特徴である。
日本においても、カシオペアやT-SQUAREをはじめとする世代がこの潮流を独自に消化し、テクニカルかつメロディアスな作品群を数多く生み出した。ジャンルの境界を軽やかに越えていくその姿勢こそが、フュージョンという名前そのものの由来だ。
既存の音を拾って、切って、貼って、組み直す。それだけの話が、両方とも音楽の芯になってる。三曲、聴き比べてみよう。

一曲目 — BADBADNOTGOOD「Love Proceeding (Macroblank Remix)」— これはBarber Beatsの作品だ
元ネタはブラジルの爺さんアルトゥール・ヴェロカイが1972年に遺した曲。
それをカナダのジャズ・バンドBADBADNOTGOODが再演奏して、さらにBarber Beatsの創始者格Macroblankが切り刻んで縫い直した。
三代がかりのリレーだ。誰も一から作っちゃいない。誰かの遺した音を、また誰かが拾って磨いてる。それだけのことが、こんなに美しく響くとは。

二曲目 — Weather Report「Milky Way」— こっちは正真正銘フュージョンの作品だ
ザヴィヌルとショーターが鍵盤の中身にまで指を突っ込んで、楽器の常識ごとぶち壊して作った曲だ。
静かなくせに、どこか物騒な気配が漂ってる。優美なのに、油断ならない。
この「静けさの中に潜む不穏さ」ってやつを、後の世代のサンプラー小僧どもは喉から手が出るほど欲しがった。演奏の腕前がどうこうじゃなく、この気配そのものが値打ちなんだ。

三曲目 — Oblique Occasions「No Love」— これもBarber Beatsだ
アルバム『Anathema』のジャケットは、古い版画に赤いスタンプが押し付けられたような代物。誰かの内面を解剖した記録簿みたいだ。
「愛はない」なんてタイトルのくせに、鍵盤の音色は妙に優しい。優しいくせに、どこか見捨てられた感触が抜けない。
ジャズやフュージョンが即興の中で見つけた「間」の美学、あの沈黙の扱い方を演奏せずにサンプラーの中でもう一度掘り当てた。名前も顔もない奴が、名のある巨匠より深く沈むことがある。それを教えてくれる一曲。
毎日PLAYLISTを更新する。聞いてみてほしい。
(文章・梶田昭)

