Eric Dolphy / Last Date LP Mercury【Used Vinyl】
¥3,500
残り1点
1964年6月2日、オランダのヒルフェルサム。その27日後、エリック・ドルフィーはベルリンで死んだ。36歳だった。
このアルバムが「ラスト・デイト」と名付けられたのは、そういう事情による。録音当日、ドルフィーはそのことを知らなかった。ミシャ・メンゲルベルクのトリオと、招待客だけの小さな部屋で演奏した。終演後、ドルフィーはトリオのメンバーに手紙を書いた。またいつか一緒にやろう、と。その手紙がドラマーのハン・ベニンクに届いたのは、ドルフィーの死から二日後だった。
フルート、バスクラリネット、アルトサックス。ドルフィーは三本の楽器を持ち替えながら演奏した。"You Don't Know What Love Is"では、フルートとボウイングされたベースだけが鳴る。それが人間の声に聴こえる瞬間がある。アルバムの最後、"Miss Ann"が終わった後、ドルフィーの声が録音されている。「音楽は、聴き終わったら空気の中に消える。二度と捕まえられない」と彼は言った。
それが、最後の言葉になった。
ペアリングコーヒーはマンデリンG1。深煎りの奥に、消えていく何かの気配がある。
エリック・ドルフィーはフルート、バスクラリネット、アルトサックスを演奏したジャズ奏者だ。コルトレーンのバンド、チャールズ・ミンガスとの共演で知られるが、彼の音楽はそのどれとも違う独自の論理を持っていた。
このアルバムはドルフィーが欧州ツアーの終わりにオランダで行ったラジオ録音だ。共演したのはオランダのピアニスト、ミシャ・メンゲルベルク率いるトリオで、メンゲルベルクにとってもこれがほぼ初のレコード録音だった。のちに欧州のフリージャズを牽引することになるメンゲルベルクとハン・ベニンクが、この日ドルフィーと出会っている。
モンクの"Epistrophy"、ドルフィー自身のオリジナル、スタンダードと、曲の選択に迷いがない。どの曲も原型を保ちながら、ドルフィーの手を通ると別の生き物になる。最後にドルフィーが語るひと言が収録されている。
入門として勧めるには少し難しいかもしれない。しかし一度入れば、他では聴けない何かがある。
Condition
盤質:Excellent 針跳びなし・両面光沢良好
ジャケット:VG 天部に経年シミ、
info
レーベル:Mercury / Limelight – LS 86013
フォーマット:LP, Album, Gatefold
録音:1964年6月2日、VARA Studios, Hilversum, Netherlands
曲目:
EPISTROPHY-11:15(K. Clark-T. Monk)Consolidated Music Pub., Inc.,(ASCAP)
SOUTH STREET EXIT-7:10(E. Dolphy)B.I.E.M.
THE MADRIG SPEAKS, THE PANTHER WALKS-4:50(E. Dolphy)B.I.E.M.
HYPOCHRISTMUTREEFUZZ-5:25(M. Mengelberg)B.I.E.M.
YOU DON'T KNOW WHAT LOVE IS-11:20(G. DePaul-D. Raye)Leeds Music Corp.,(ASCAP)
MISS ANN-5:25(E. Dolphy)Prestige Music Co., Inc.,(BMI)
パーソネル:
Eric Dolphy-Flute, Bass Clarinet and Alto Saxophone
Misja Mengelberg-Piano
Jacques Schols-Bass
Han Bennink-Drums
スウィング・ジャーナル・ゴールド・ディスク
エリック・ドルフィー/ラスト・レコーディング
ERIC DOLPHY / LAST DATE
STEREO SMX-7119
曲目
A面
エピストロフィー(Epistrophy)11′07″
サウス・ストリート・エグジット(South Street Exit)7′03″
ザ・マドリグ・スピークス、ザ・パンサー・ウォークス(The Madrig Speaks, The Panther Walks)4′47″
B面
ヒポクリストマトリーファズ(Hypochristmutreefuzz)5′20″
ユー・ドント・ノー・ホワット・ラブ・イズ(You Don't Know What Love Is)11′07″
ミス・アン(Miss Ann)5′34″
エリック・ドルフィー四重奏団
エリック・ドルフィー(fl, bcl, as)
ミッシャ・メンゲルベルグ(p)
ジャック・ショル(b)
ハン・ベニンク(ds)
今やかえらぬエリック・ドルフィーのラスト・レコーディングである。
ナット・ヘントフが原盤ジャケットに書いている解説がすばらしいので、ダイジェストふうにまとめてみたい。
エリック・ドルフィーは、1964年6月29日ベルリンで36才の生涯を終えた。その死はジャズ界の一大痛恨事であった。レコードによって賞讃をうけたとはいえ、ナマ演奏を聴いた人は、ファンのうちのごく小部分にすぎなかったのである。
彼のプレイは、すべてのものを焼き尽してしまうような迫力をもっており、音だけをきくと、自意識過剰ないやな男を想像する人もあろうが、人間的には全く誠実な紳士で、思慮深く、悪意など持ちあわせていなかった。
チャーリー・ミンガスは数年間ドルフィーをサイドマンとして使っていた。次の言葉が毒舌家ミンガスの口から出たものであることは意味深い。
「追悼文というものは、故人生前の美徳で埋められることになっている。だが、エリック・ドルフィーに関しては、美徳しか思い出せないのだ。短所を全く持ち合わせぬ好い男だった。」
彼の音は凄く大きくて、チャーリー・パーカーのビッグ・トーンそっくりだった。マイク不要という点では、大昔のジャズ・ミュージシャンに似ていた。ジャズという行為の本質は、音楽を通して語ることにある。我々は常にそれを心掛けている。彼の偉い点は、語る点にあるのでなく、語る内容の高さにあった。
エリックがミュージシャンとして僕が働いた点は、その順応性にあった。あれだけ個性の強い芸術家だったにもかかわらず、ビッグ・バンドに加わると、完璧なリード・アルト・プレイヤーにかわった。いったんソロのパートになると、スイッチを切りかえて自己表現に徹した。
エリックはジャズという音楽と彼がえらんだ楽器をマスターしていた。マスターという言葉は適当でない。不可能とされていたことまで可能にした。ヨーロッパのあるパーティが、彼の姿を見た最後だったが、パーティの間じゅう、片隅でパーカーのレコードに合わせて楽器の練習をやっていた。生涯のうち一時たりとも音楽を考えていないことはなかったと思う。
エリックは聴いたものや演じたものを、心の中で昇華させた。だから彼のプレイには異様な輝きがある。
エリックはやさしい、いたわりの心をもっていた。ある時、あるクラブで私は長々としたソロを演じた。耳を傾けている客は一人もいなかった。たまらないことである。するとエリックはそっと後ろから囁いた。「しっかりやりました。皆が聴いていないようにみえますが、あそこの隅で熱心に聴いている人がいるんですよ」。こういう言葉で鑑機応変に鼓舞する男が他にいようか。下積みの苦労をなめながら、彼の心はこうも温かったのだ。
彼にはいい思い出しか残っていないというのは、こういう意味なんだよ。
エリック・ドルフィーは、休むことなく探求をつづけた。ナット・ヘントフに答えて数年前、こういったことがある。
「学ばねばならないことが一杯あります。手をつけていないことがたくさんあるのです。上達するにつれて、あり得ねばはずのものが、手のとどくところに来てしまうんですからね」
このアルバムに収められている、エリック・ドルフィーのラスト・レコーディングは、1964年6月2日、オランダの首都アムステルダム近郊、ヒルヴェルサムで行われた。
メンバーは、エリック・ドルフィー(アルト・サックス、フルート、ベース・クラリネット)、ミッシャ・メンゲルベルク(ピアノ)ジャック・ショル(ベース)ハン・ベニンク(ドラムス)
このリズム・セクションは、エリックの気に入ったものであった。その証拠に、コペンハーゲンのクラブ・モンマルトルへ出演する時、共演を申し込んだ手紙が残っている。不幸にしてその手紙が、ハン・ベニンクの手許に届いたのは死後二日を経てからであった。
〈A面〉
1. エピストロフィー
セロニアス・モンクの名曲で、ドルフィーのベース・クラリネットにはじまる。彼ほど徹底してベース・クラリネットの可能性を追求した者はいなかった。
ドン・ヘックマンがダウン・ビート誌に書いたことがある。「手のつけようもないベース・クラリネットも、ドルフィーの手にかかると、生命力をもつ生き物に変った。」
この楽器は機構的にむずかしく、マスターしているミュージシャンはそう多くない。ヘックマンにしたがえば、「エリックはこの楽器の表花をマスターしたばかりでなく、ハーモニックな深さを探求しつづけた」のであった。
2. サウス・ストリート・エグジット
この曲もドルフィーのオリジナルで、楽器の可能性ばかりでなく、作曲家としても成長を続けていた。ここではフルートを吹くミュージシャンは多いが、ドルフィーほど個性的に完成した人はいない。「彼の語り」はフルートにも現われる。彼の吹奏は、もともと鳥の鳴き声に似ているが、フルートのばあい、特にそういう感じがする。
彼自身が語っている。「カリフォルニアにいた時分、鳥たちはよく私に語りかけました。私も出来るだけ彼等につきあって一緒に歌いました。まえから鳥が好きでしたし、鳴き声をまねるのも好きだったのです」
だが鳥だけではなく、この世の森羅万象(しんらばんしょう)が彼の興味をそそった。だが、鳥の声は中でもきわだっていた。エリックにとって、ジャズに使えない音はなかった。
3. ザ・マドリグ・スピークス、ザ・パンサー・ウォークス
この曲もドルフィーのオリジナル。アルト・サックスを吹く。映画「真夏の夜のジャズ」のチコ・ハミルトン・コンボに、カゲのうすいアーティストとして写っていたエリック・ドルフィーが、数年間にダウン・ビート誌の「名声の殿堂」にランクされようとは、誰が予想できたであろう。
〈B面〉
1. ヒポクリストマトリーファズ
ミッシャ・メンゲルベルクの作。エリックはベース・クラリネットを吹く。メンゲルベルク自身も、ソロと伴奏に印象的なプレイをみせる。エリックは、楽器のvocal qualityという点で南部の初期のジャズメンに通ずるものを示し、その前衛的な冒険で、新しいジャズ史の先頭に立つ。
2. ユー・ドント・ノー・ホワット・ラブ・イズ
レコード化されたエリックのフルート吹奏の中で、最も幻惑的なものである。曲はスタンダードだが、全く新しい次元が開花している。微妙な陰影、新鮮な音符の選択、息吹くようなビートに注目ありたい。
3. ミス・アン
ドルフィーの作。アルト・サックスを絵筆としてスケッチされた肖像画面。アンサンブルの中から、ドルフィーの音が突然浮びあがってくる一瞬は全くスリリングである。強い説得力、巨大なヴァイタリティ、人間にあふれる音のアラベスク……
1963年オーケストラUSAのコンサート評をニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙に書いた、音楽批評家エリック・サルツマンは、エリック・ドルフィーの当夜のプレイを次のように書いている。
「エリック・ドルフィー氏は木管楽器の全音域を使って、他の人なら騒音になってしまうものを、素晴らしい音の芸術に仕上げてしまう。彼は天才だ」
アルバムはエリック・ドルフィーの声で終るが、その声は偶然にも、黒人ジャズ批評家ルロイ・ジョーンズだ。
「音楽は終ると、空中に消えてしまう。もう一度取り戻すことはできない」(When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again.)
エリックにとって、これは真実だった。前にやったことを、もう一度やろうとはしなかった。しなかったのではない、出来なかったのだ。彼はつねにサウンドを探求しつづけた。
だがエリックの音楽のすべてが空中に消えたわけではなかった。このアルバムに収められている音楽が、そのひとつである。
【解説:油井正一】

